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ねこの日なので実家で飼っていた猫の話をします。

2月22日。猫の日ですね。

世間では年々この日の存在感が増しているような気がします。

今日は実家で飼っていた猫の思い出について書きたいと思います。

結構どうでもいい身の上話になるかとは思いますがよかったらご覧ください。

 

と、思ったのですがいざ書いてみたら病気で辛い話ばかりになってしまったのですがご了承ください。

きれいなたれ耳の、スコティッシュフォールドのオスです。

一昨年病気によって11歳で亡くなっています。

4か月で我が家へ

出会いは私が高校に入ってすぐの夏です。

私は動物大好きなんですが、親の方針でずっと犬や猫はまだ飼ってはいけないと言われていました。

何かあった時に悲しみと向き合えるような年齢になってからという約束だったんです。

学校でいろいろあって私が落ち込んでいた時に、両親と相談して飼う事になりました。

 

ペットショップで猫ちゃんは警戒心が強いので家についても無理にカゴから出さないよに言われたのに、初日から部屋で走り回っていました。この時4か月。

初めての病気

念願の猫を家族に迎え入れた事で私たち家族は毎日癒されていました。

私は当時本当にやさぐれていたので(?)心の拠り所というか、親友ができたような気持ちでした。

どんどん大きくなってやんちゃになった頃、1歳前くらいに去勢手術を受ける事にしました。問題行動が減ったり病気のリスクを減らせるという事で両親が決めました。

 

手術は問題なく終わりましたが、その直後に尿路結石になってしまったんです。トイレに何回も行くのにおしっこが出なかったり、血尿が出たりして辛そうでした。

入院して処置してもらって、これからずっと病院食を食べる事に。

その後2回再発して手術もして、定期的に病院に通いながら暮らしていました。

この病気の問題について、家族で反省しました。

コップに注いだ牛乳(人用)をペロペロ飲むし、ケーキの生クリームを欲しそうにするのでたまに少量与えていたのも良くなかった。

コミュニケーションをとるためにあげていたおやつが、あげすぎだったのかもしれない。

一度味を覚えてしまったものを我慢させるのはかわいそうだけど、もう辛い思いをしてほしくないので控えるようにしました。

新たな病気

病院に行く頻度も半年に1回でよくなった頃、立派に病院大嫌い猫に成長していました。

何歳の時だか覚えていませんが、定期検診でお医者さんに心臓の出口の筋肉が肥大化していて、血流のスピードが上がりすぎて負担がかかっていると言われました。

今すぐどうこうという事ではないけど薬を飲んで様子見だね、と。今までの毎日病院食に薬が追加されました。

心臓って言われてすごく驚きましたが、人間にもあることみたいで年をとるとだんだんそうなっていくものだとか。

こうしておしっこ問題と心臓問題とながーく付き合っていく事になりました。

家族の中心

よく猫の飼い主は下僕だと言いますけど、本当にそうだと思います。

「にゃ(ドアを開けろ)」

と言われれば、はいお猫様と言って開けますし、

「にゃー(めしくれ)」

と言われれば、お食事の時間ですねお猫様と言ってご飯をあげますし

「んにゃぁーー(部屋に入れてくれーい)」

と言われればいかなる作業も中断して部屋に招き入れなければなりません。

フィーバーするとあなた本当に心臓悪いんですか?と言いたくなるほど廊下を走りまわりますし、冬の朝まだ暗い時間から朝ごはんを要求してきます。夏は夜明けが早いので猫様のお目覚めも更に早いです。

 

いつのまにか我が家の王様と化した猫様ですが、一家全員が下僕生活を楽しんでいました。ただ、私や弟は一度寝ると起きないので早朝訪問の被害は主に両親でしたw

彼が我が家にやって来てから、私が大阪で一人暮らしをしたり。弟が大学に入ったり。私が実家に戻って就職してみたり。私が結婚して家を出たり。

たくさんの家族のイベントを彼と共に過ごしてきました。遠方の祖母が亡くなった時はやむをえず病院のホテルに預けて行った事もあります。

 

遊んであげても反応しないふてぶてしい態度の時もあれば、図々しく無理やり膝に乗ってきたり、床に寝転んで道をふさいでみたり。

酔っぱらった父に絡まれて被害者になってみたり、干した布団の中に潜って行方不明になってみたり。

行動のひとつひとつがみんなの癒しで、いつも話題の中心でした。

(縦画像すみません)

病状悪化

10歳くらいの時かな?また定期検診にて、おしっこが薄くて腎臓の数値が悪いというお医者さんの言葉。

心臓の方は徐々に悪くなりつつも、維持できていました。

2日に一回点滴を打つ事になったのですが、上に書いた通り病院が大嫌いな猫なのでストレスになってしまうので、自宅で点滴できるように病院でキットをいただく事になりました。

両親と私で協力しつつ点滴を打ちました。途中からは点滴のキットを見るだけで部屋からスッと出ていくようになってましたw

彼は嫌いだったようですが、この点滴のおかげで数値急降下を防ぐ事ができたみたいです。

あなた本当に病気ですか?と、やっぱり言いたくなるくらい毎日元気でご飯もたくさん食べてました。お医者さんからの許可をもらって歯磨きおやつやちゅーるも食べていました。

さらに悪化

ひどい貧血が出て、腎臓の数値も更に悪くなって点滴を毎日するようになりました。

私はこの時もう結婚して実家を離れていたのですが、両親は点滴中心でスケジュールを組むようになってましたね。

お医者さんの話によると、数値的にはものすごくしんどい数値が出ているけど徐々に悪化してきたので体が慣れていてしんどさをあまり感じていなかったのではないかとの事でした。

私は親からの電話で、急激に悪化したと知らされます。1年ちょっと前、12月の事です。

ご飯も食べなくてほとんど動かない。大好きだったおやつも食べないとの事。

かなり動揺しましたが、母親が落ち込んでいたのが心配で、翌日から少し実家に帰る事にしました。

親との電話を切った後、うちの猫を知っている友人から別件で連絡が来て泣きながら電話で話しました。

 

翌日実家に着いてビックリ。

もう以前のお猫様の姿は見る影もないというか、本当に今晩どうにかなってしまうんじゃないかと思うほどにぐったりと小さくなっていました。

歩きたいけど歩けなくて、動く力を振りしぼってにゃー!と声を出す。よろよろと数歩歩くけどすぐにべちゃっと床に倒れてしまう。

きっと本人は自分が普通に動けるつもりでいたのかもしれません。だから何回も動こうとしていたのかなと思います。見ているだけで涙が止まらなくなるほど痛々しい姿でした。今思い出しても辛いです。

最後の頑張り

夜中にもしもの事があるといけないので父と母と交代で寝て誰かが見守りながら朝を迎えました。最後の瞬間に立ち合えなかったらという不安もあり、辛い悲鳴のような鳴き声が聞こえてきてよく眠れなかったのを覚えています。

前日よりも動きが少なくなって、表情に力がなく、声もよわよわしくなって。

それでもまた1日、頑張りました。

貧血なのか鼻も真っ白になってしまって。

両親が仕事で留守中、2人でいる間にたくさん今までのお礼を伝えました。

私が10代で辛い頃にたくさん支えてくれた事や、嫌な事があった時にそ知らぬ顔でそばにいてくれた事、11年間家族を癒し続けてくれた事、本当に感謝しています

あの時八つ当たりしてごめんね、ドアを開けろと言っていたのに無視してごめんねと、謝る事もたくさんありました。

 

また3人で交代で夜を過ごして、次の日のお昼前に天国に行きました

かなりつらそうになってきて、尿毒症(と思われる)でけいれんが出て、どうしたらいいかわからなくて病院に連絡して連れて行こうとしている最中でした。

弟はその日の夜実家に来る予定になっていたので間に合わなかったけど、3人でそばにいられたから寂しくなかったかな。

すごく苦しそうで衝撃でしたが、病院に行く道中や病院で最期を迎えるよりも自宅で旅立つ事ができてよかったと思います。病院は嫌いでしたからね。

体を綺麗にしてあげて、寝かせてあげると、表情がとても安らかで今にも目を開いてむくりと起き上がりそうな姿でした。

 

その夜は両親と鍋をして、思い出話をたくさんしながら過ごしました。

弟も無事に到着し、翌日斎場でお別れ会をしてお骨を連れて帰ってきました。

あんなに家族揃ってわんわん泣く事は、もう後にも先にもないんじゃないかと思います。

最初に書いた親の方針ですが。これはいくら年齢を重ねても無理じゃないかと思いました。まあでもあと10年前にこの経験をしていたらどう処理できていたかは疑問なので、結局うちの両親の判断は正しかったとは思います。

分骨して私と弟も小さな入れ物にいれて、家に連れて帰りました。

 

毎日一緒に暮らしていた家族を失う事が初めての経験だったので、しばらくは辛かったです。

テレビで猫を見ると泣けてきたり、写真を見るだけでも悲しい気持ちになりました。

1年と少し経った今は、天国で元気にやってるかな?いつかそっちで会おうねーという気持ちです。

辛かった話ばかりになって申し訳ないですが以上が私の、飼い猫との思い出です。

 

いつかまた私も家族として猫を迎えたいと思ってますが、将来の夢という事にしておきます。夫がなんて言うかわかりませんけどねw

いつもに増してよくわからない話になっちゃいましたけど、読んでくださってありがとうございました。